萌黄、 薄香、 花葉色…
いにしえの日本人が
微細に季節のうつろい感じとり
名付けたという色彩の感覚を
現代人がなくしてしまったとは
どうしても思えない。
大切なのは、そこがどんな居住まいか。
どう場と光をしつらえて、どう自然を縁どるか、
すべて丹念にととのえば、感性は磨かれる。
ふと窓をながめ、つど目を離せなくなる、
そんな日々を重ねていけば、だんだんとわかる。
たおやかな山口の自然あればこそ、
日本の美意識が注がれた家、
「仄仄(ほのぼの)」です。
日々感じとる、解像度が上がる。
豆を挽く。カップを温める。湯を落とす。
さしずめ今の時代の茶室のような空間で、
日々の繰り返しが、儀式のように感じた。
平らで低い視点からのながめはどうして、
こんなにも人を安穏とさせてくれるのか。
考えているうち、うとうとしてしまった。
もはや廊下はただの通路では決してなく、
リビングという快く温かな物語へと誘う、
序章であり装置なのだと歩くたび気づく。
いつもの朝の光と遅く起きた今日の光で、
食卓の絵面が変わり、心持ちまで変わり、
わかる自分もうれしい。果物がおいしい。
家に戻り手を洗い、何の気なく見た鏡に、
ゆらめく影とゆるまる自分の顔を確かめ、
まだ明かりは灯さないでおこうと決めた。